いくさ世を呼び込む辺野古新基地建設(6/20講演会報告)

講師の藤川佐代子さんが沖縄から就職で本土に来たときは、復帰前でパスポートが必要だったそうです。沖縄の本土復帰は72年に果たされましたが、米軍基地が減ることはありませんでした。今年の6月23日は、沖縄戦終結から70年目の「慰霊の日」でしたが、私たちは慰霊の日をどれほど知っているでしょうか? 沖縄戦における20万人を越す戦死者のうち、約半数は一般住民や子供たちでした。沖縄の苦渋は今も続いています。その象徴は、74%もの米軍基地が集中していることでしょう。

1950年代、本土では米軍基地反対運動が起こり縮小されました。しかしその行先は沖縄で、今の状態が作られました。沖縄の基地の多くは民有地で、米軍用地契約で使用されています。3年前の軍用地契約では、辺野古新基地移設が大きな問題になるなか、契約拒否をした地主が多数いました。藤川さんもその一人です。沖縄の民意は、2度といくさ世(ゆ)にはしない」です。私たちは、沖縄を2度と「捨て石」にしてはなりません。