「戦争と平和の資料館 ピースあいち」を訪れて
名古屋市名東区にあるこの資料館を知ったのは、海老名市で戦争体験を語り継ぐ活動をしている「市民発・平和の会」で父の沖縄戦体験をふくちゃん(5歳の人形)と腹話術の会話で語ってくれた語り部柳川たづ江さんからの情報でした。柳川さんの姉も「ピースあいち」で父の戦争体験の語り部をされていました。
「ピースあいち」は、愛知県や名古屋市が建設したのではなく、愛知に戦争資料館をつくろうと運動を始めた市民によってつくられたものです。行政が建設になかなか動かず、頓挫していたことを聞いた当時84歳の女性が、名東区よもぎ台の土地90坪と平和資料館建設費1億円の寄付を申し出たことによって造られ、市民によるボランティア運営が行われている稀有な平和資料館です。平和を願う市民による運営だからこそ、在った事実をそのままに展示することができます。誰かの意図で、あった事を無かったことにする、削除するという事はしない。ボランティアによる運営は、継続が大変なことです。しかし、平和を守りたい市民の強い意志を感じます。その心意気と継続の努力に敬意を表したいと思います。
会場で85歳の女性が、涙ながらに小学校入学前の6歳児だった時、父母は、爆撃に備えて家や街を守らなければならなかったため、いつもたった一人で防空壕迄走った恐ろしさを話してくれました。名古屋は、工業都市であり、航空機生産の最大拠点で、三菱重工業名古屋発動機は、米軍の日本本土空襲の第1目標であったこと、そのため繰り返し目標爆撃の対象となったとのことです。
兄は、学童疎開をしており、両親と自分は、家財の半分をリヤカーに乗せて、名古屋の中心街から稲沢市まで歩いて疎開されたそうです。その後、大空襲があり、家と残り半分の家財が全焼、間一髪で逃れられた体験から、子どもたちに平和な時代を生きてほしいと戦争体験を話し続けられています。
「ピースあいち」のパンフレットに・・戦争が残した教訓を伝え、市民の平和への思いを発信する場として、そして、伝えられたことや学んだことをさらに次の世代に繋いでいく役割を果たす施設でありたいと考えています。また、このピースあいちを訪れた人が、平和のために1歩を踏み出す契機となるような施設でありたいと思います。・・と書かれています。私たち神奈川ネットワーク運動海老名「平和部会」の次世代へ平和を継承し続けたいと願う思いと同じです。力を頂いてきました。
(平和部会 三谷裕美子)