「ノーモア・ウァー」

世界の各地で紛争が起きています。イスラエルのガザ攻撃はユダヤ人のホロコーストへの報復を感じさせます。ロシアは核兵器使用をチラつかせています。平和部会では、5/16・17広島県福山市のホロコースト記念館と被爆地広島の平和資料館を訪ねました。

第2次世界大戦中、ナチスドイツに600万人ものユダヤ人が大量虐殺(ホロコースト)されました。なぜホロコーストが起きたのか?記念館展示史料ではヨーロッパには長い間ユダヤ人に対する偏見があり、特にドイツは第1次世界大戦の敗戦国として多額の負債を負い失業者も多く、社会不安・国民の不満のはけ口をユダヤ人に被せ、1935年ニュルンベルグ法を作ってユダヤ人絶滅政策をとったことが読み取れました。ナチスの党首ヒトラーは選挙で選ばれ、ドイツには近代憲法のワイマール憲法がありました。それでもホロコーストは起きたのです。じわじわと法律を変えていく為政者に対して、黙っていることは認めたことになります。「おかしい、ハテ?」と思ったら声を上げていく市民でありたいと思いました。ホロコースト記念館はアンネフランクの父オットー(アンネ家族で唯一生き残った)に出会った大塚信氏がその平和を希求する人柄に惚れて開館し、平和についての学習する場となっています。イスラエルとパレスチナは過去の負のスパイラルに陥ることなく、宗教・人種の壁を越え、停戦にと願うばかりです。

広島原爆資料館では、核兵器の非人道性について考えさせられました。原子爆弾の4,000℃の高熱に焼かれ爆風で飛ばされた人々はもがき苦しんで死に至り、生き残っても放射線の体への影響は一生続き、遺伝子を奇形させ子孫まで及びました。また結婚や就職など精神的社会的な差別も受けました。現在、核戦争になれば核の雲は52日間で地球を一周し気温を著しく低下させ「核の冬」になる事、そして2023年11月核兵器禁止条約締結国会議宣言「核抑止力を正当化する試みは核拡散の危険性を高めている」まで展示しています。常に新たな情報を表示する原爆資料館には小・中学生や各国からの来場者が多く、被曝の現実をしっかりとくみ取り、世界が核廃絶へ向かうことを願ってやみません。「被曝遺構展示館」では、広島平和公園の下には「まち」が存在してたこ

とが分かりました。地下1mから掘り出された道路跡や庶民の住居跡(燃えて畳跡)等の展示は、市民の生活が1発の原子爆弾で一瞬のうちに焼け野原になったことを訴えていました。

1982年5月、国連会議で長崎被爆者の山口仙二が焼けただれた自身の写真を見せながら力強く非戦・核兵器廃絶を「ノーモア・ウァー」と訴えました。ホロコーストも被爆者も戦争が無ければ起きなかったことです。「平和」のたすきを繋ぐことの重さをひしひしと感じた旅でした。