戦災孤児の手記 ~朗読とピアノの平和イベント~

7月21日(日)、海老名市の妙常寺の住職の厚意で、本堂を借りることができ、平和について考える集いを開催した。

戦後、長崎市に孤児収容所長崎県立「向陽寮」が開設された。戦争で親を亡くした孤児たちが、寮長を「お母さん」と呼び、慕い、暖かな環境で過ごすことができた。その「向陽寮」で(旧姓)芦立容子さん(昭和20年当時3歳)は、設立当初から兄と弟と兄弟3人で生活することになる。

「いっしょうけんめいきょうまで生きてきたと!」という「向陽寮」の元寮生たちの手記を読んだのは、2012年、今から12年前の事だった。その時、会場で芦立さんご本人が手記を朗読された。戦災孤児が戦後から今までどのようにして生きてきたか、生の声を聞いた。「向陽寮」を出てから美容師の修行をしていた頃、兄は、自死。病気を患った弟と自分も、死に場所を探して浜辺をさ迷い歩いた日の事を話された。戦争で両親を亡くした幼い子どもたちに戦争の傷跡がいかに深く突き刺さって消えないか、目の当たりにして大きな衝撃だった。

戦災孤児たちのことは、テレビで見たり、本で読んだりして知っている気になっていたが、目の前にいる女性が語る人生にひとりひとり違う艱難辛苦や消えることのない衝撃があった事を思い知った。

手記には、8名の元孤児たちが寄稿している。皆、幼少の頃から壮絶な人生を歩んでいる。親が無くとも子は育つと言う言葉があるが、それは、衣食足りて戦争のない幸せな環境においてだろう。戦災孤児の方々の「向陽寮」入所前と入所後の生活は、言葉で伝えることができないほどの苦しい人生だった。

芦立さんは、その後良き伴侶と巡り会い、幸せに過ごされほっとする。

今回、芦立さんとは連絡が取れず、芦立さんが戦争を知らない世代に自分たちのことを伝えたいと願っていたことを朗読と言う形で若い世代に伝えさせてもらった。10代、30代、40代の方々が会場に参加された。

主催者のジャズピアニストとその友人の女優を迎え、芦立さんの寄稿文朗読とピアノの素晴らしい共演を果たした。

住職のお経とピアノのセッションもあり、平和であることの大切さをお経とピアノで表現。そちらも素晴らしいコラボレーション作品となった。

平和であり続けることの危うさは、現在の世界の紛争で思い知らされている。今こそ、戦争の惨禍を伝え続ける必要をひしひしと感じる。(三谷裕美子)

         

お経とピアノ                   朗読とお経