アンネのバラ
杉並区立高井戸立中学校の校庭で「アンネのバラ」が春と秋に公開され、晴天の5/5子どもの日に訪れた。校門から校舎への道の両側に黄・オレンジ・ピンク・真紅の200株のアンネのバラが青空に映えて美しかった。また、アンネのバラに関する資料の特別展示が校舎内にあり、ゆっくりと思索できる環境づくりになっていた。
1975年小林桂三郎国語教諭による『アンネの日記』を学習した中学2年の生徒たちが感想文を『暗い炎の後に』にまとめオットー・フランク(アンネ・フランクの父)へ送った。「平和には形がない。だから、アンネのバラを平和の象徴として校庭に植えたい。(『暗い炎の後に』小林桂三郎教諭の文章)。」と生徒の希望が叶って、1976年3株がオットー氏から贈られた。
バラは虫が付きやすく手入れが難しい。生徒、教諭と地域の人々の「アンネのバラ サポーターズ」によって2026年で50年となる。3株から200株へ成育したアンネのバラを高井戸中学校から北海道から九州まで全国の学校・施設へ株分けし広がっている(厚木高校も)。
アンネのバラが日本中に広がり、バラを見る、手入れをする度に人権・平和について思いを巡らす。『暗い炎の中に死んでいったアンネ・フランクの魂のためにヨーロッパの園芸家が薔薇をオットー氏に贈った。~中略~この世の人々が手をつなぎ合って永遠に幸せを守り続けられるようにと心からの願いをこめてこの薔薇を育てていこう。私たちは決してこの薔薇を枯らしてはならない。1974年アンネ・フランクに寄せる手紙編集委員会』と校庭の薔薇の根本に立て札がある。 混沌とした世界情勢に、ずっしりと響く。平和への不断の努力が今こそ必要だ。