「人が落とさにゃ落ちてこん」

6/15海老名市文化会館122室は『朗読「ひろしまのピカ」と「広島被爆証言」』の参加者で満員となりました。世界各地で紛争が起こり、混沌とした社会状況です。戦争を繰り返さないために史実に忠実に学ぶことが、今、必要です。

10数年前、丸木美術館を海老名ネット平和部会で尋ね、大画面の「原爆の図」に衝撃を受け、丸木俊さんの絵本「ひろしまのピカ」を購入しました。その朗読を俳優岡崎弥保さんが100回を目指して各地で朗読会をしていることを知り、2年前に海老名に来ていただきました。今回の朗読会で53回目です。丸木俊さんが、北海道で「原爆の図」の展覧会をしている時(1953年頃)に、会場に入って来た一人の女性が、子どもの手を引き傷ついた夫を背負って逃げまどったひろしまのピカのことを話された。その話を元に俊さんご自身が聞いたたくさんの原爆体験を織り交ぜて絵本「ひろしまのピカ」は作られました。岡崎さんの朗読はときには母親、幼子、瀕死の夫の言葉となり、ピカにうちのめされたひろしまにいるような臨場感あふれるものでした。母親のセリフ「ピカは人が落とさにゃ落ちてこん」、一発の原子爆弾がもたらしたものは?人として生きることのあたり前を踏みにじることは誰にも許されません。

94歳の今も各地で被爆証言活動をなさっている松本正さんを岡崎さんからご紹介頂きました。「1945年8月6日、広島第2中学3年生(14歳)の時に、爆心地から約3.5Kmの学徒動員先の工場で被爆した。腹に響く衝撃と周囲が青白い光に包まれた。直ぐに防空壕に逃げたので無傷だったが、5階建ての工場は鉄骨がむき出しになり、ガラスの破片が突き刺さって血を流す工員もいた。散乱する瓦礫をよけ、遺体につまずきながら母の疎開先へたどりついた。家族10人を原爆で失った。」無傷で誰も助けずに逃げ回ったことで自分を「ずるい被爆者」として、被爆証言を拒んでいましたが、2014年に恩人の講話の代役として高校生に被爆体験を語った時、大きな反響を得たことで、二度と子どもたちに、被爆体験をさせたくないと、証言活動に各地を回っています。「わが命続くとあらば語り部を 能(あた)う限りは続けたきもの」と自作の短歌を朗々と大きな声で発表されました。その強い思いが会場にあふれていました。

戦後80年、戦争体験被曝体験を語られる方は少なくなってきました。どう次の世代へ活動を繋いでいくかが大きな課題です。その一つの方法が広島平和記念資料館による「高校生の原爆の絵」活動です。広島市立基町高校生が被爆体験証言者の記憶に残る被爆時の光景を何度も打合せを重ね絵に描き、当時の状況を伝えています。その絵のコピー20枚を当日、会場に貼りました。熱心に見入る参加者の姿がありました。

この平和の集いは海老名ネット平和部会から始まり、市民との「市民発・平和の会」へ、生活クラブ生協海老名コモンズとによる「平和ってなんだろう実行委員会」へと多くの人とつながって活動してきました。これからも、「力による解決は許さない!」「核兵器は使わせない!」を子どもたちの未来へ、全世界へ微力だが無力ではない活動をしていきます。

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